霧島市には何でもあるって「幸せ」なことなのだろうか?何かが違う気がするんだなあ…!

キリシマン キリシマンの住むところ

先日、ある飲み屋さんで、東京から長期出張で霧島に来ている方とお話しました。
その方から「霧島市には何でもありますね」と言われました。
霧島に住んでいるキリシマンたちは、それが当り前のように日々を過ごしています。
しかし、「これだけ揃っているのにアピールが下手ですね」とも言われました。
言われてみれば、確かにそうかも知れません。

霧島市には何でもあるけど、「何か」が違うのではないのだろうか? 

我らが霧島には、海あり山あり、観光地あり、温泉あり、特産品あり、神話あり、国宝になる霧島神宮や重要文化財になる鹿児島神宮あり、鹿児島空港あり、2つの高速道路あり、2つの鉄道路線あり、大きな病院をはじめとするたくさんの病院や医院あり、たくさんの公共施設あり、多くの飲み屋さんあり、スーパーや大型店あり、…などなど何でも揃っていますよね。

「コロナ禍」があったにせよ、それ以前から、観光客や国外からのお客様をお呼びするのが、少し下手くそだなあって、キリシマンも感じていました。
(中重市長様はじめ霧島市役所の方々ごめんなさい…!でもホントに感じたことですからね。)

市役所の観光部門の方々のご努力は、大変なものだとキリシマンも多少は承知しています。
しかし、少しだけ方向性や工夫や、それ以外の何かが違う気がしていました。

霧島市の顔とも言えるホームページは、見かけは霧島がどんと広がり、とても見栄えがいい。
しかし、中身をじっくりと見ていくと、誤字や脱字、語彙の異なりなども多く見受けられます。
(キリシマンは、ネタ探しにほとんどすべてを見ましたからね。)

ホームページがどうこう言っているのではなくて、一例として挙げたまでですが、業者さんが作ったと思しきことは見て取れます。
これと同様に、「霧島のアピール」も他人任せに感じてならないのです。

「霧島市報」は、他に誇れる大変すばらしいものです。
でも、キリシマンは、何かが違う!、本末転倒しているのか?、などとずっと違和感を感じてきました。

これら一つ一つを見れば、素晴らしいもののように見えますが、少しだけ方向性や工夫や、それ以外の何かが違う気がしてならないのです。

一体何をどうしたらいいのかは分かりませんが…。
それが分かれば誰も苦労はしないのです。

霧島市には何でもあるって、「幸せ」なことなのだろうか? 

私たち(キリシマンも含む。)は、何でも揃っていることに慣れっこになっています。
これって、「幸せ」なことであることに間違いはありません。キリシマンも異存はありません。
ただし、慣れっこになっているので、「幸せ」を感じることはありませんよね。
当たり前に何でも揃っているのですから。

鹿児島県内の他の市町村から見れば、きっと羨ましく思えるのではないのでしょうか?(鹿児島市を除く。)

例えば、日本全体の地方都市のご多分に漏れず、人口は減少の一途をたどっています。
霧島市では企業誘致も盛んに行われています。
それでも外に職を求めて出ていく若者は多いですよね。(ご担当の方、ごめんなさい!)

「SDGs」ではないですが、2030年の霧島市はどうなっているのでしょうか?2040年は、2050年は?
キリシマンは心配でなりません。

霧島市には、長期計画(総合計画)が作成されていますが、無用の長物になっていやしないか?
市議会の方々がきちんと行政を管理されているとは思いますが、形だけになっていやしないか?
何でも揃っている「幸せ」に甘えて、何かを忘れていやしまいか?

最近のキリシマンは、「SDGs」を学ぶにつれて、「我らが霧島」のことも心配になっているのです。

霧島市民の方々、霧島市役所の方々、霧島市議会の方々、今一度真剣に「霧島」のことを考えてみませんか?

霧島

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